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吉川晃司と釈由美子の縁が切れない本当の理由ブログ [芸能人、スキャンダル、ドラマ、ファッション]

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吉川晃司と釈由美子。縁が切れない本当の理由

以前NHK出演禁止になっていました、吉川晃司さんが大河ドラマで復帰しました。

こちらの記事を参考に

↓   ↓   ↓

http://thenews99.blog.so-net.ne.jp/2013-12-29














彼は大河ドラマ「天地人」にてかつて先祖と敵対した織田信長役を演じることになった。

この時は反対する親戚もいたり、本人もやはり織田信長を演じることに抵抗が

合ったと述べている。



どういう事なんでしょうか?
















実は…、吉川晃司は毛利元就の次男である吉川元春の(ご先祖様)子孫に当たるが、

調べてみたら、吉川元春は、織田信長の命を受けた羽柴秀吉と戦っております。

ほんとに、直接の敵の役だったのですね。

















しかし、この吉川元春、戦において負けたことがないと伝えられております。
















ところが、織田信長との戦いを境に……

元亀2年(1571年)、父・元就が死去すると、その跡を継いだ甥・

毛利輝元(隆元の嫡男)を弟の隆景と共に補佐する役目を担った。





天正5年(1577年)からは織田信長の命を

受けた織田氏の重臣・羽柴秀吉率いる中国遠征軍が播磨国に侵攻する。





天正8年(1580年)

大友宗麟が織田信長と呼応して毛利領に侵攻。




天正10年(1582年)高松城が羽柴秀吉に攻撃された

そのような中、6月2日に織田信長が明智光秀の謀反で横死を遂げた(本能寺の変)。

羽柴秀吉は本能寺の変を毛利側に隠しつつ、「毛利家の武将のほとんどが調略を

受けている」と聞き、和睦を受諾せざるを得なかった




天正10年(1582年)末、家督を嫡男の元長に譲って隠居した。これは、秀吉に仕えることを

嫌ってのことであるとされている。



その後は毛利氏は秀吉の天下取りに協力し、天下人への道を突き進む豊臣秀吉の強い要請を受け、

、隠居の身でありながら九州征伐に参加した。しかし元春は化膿性炎症(癌とも)に

身体を蝕まれていた。そのため、出征先の豊前小倉城二の丸で死去した。享年57。















じゃ釈由美子との関係は…


実は豊臣側についていた武将の蜂須賀小六は御先祖様なんですね

本人は「釈」の姓について、戦国時代の武将蜂須賀正勝の末裔(まつえい)が、出家して四国に

渡った際に「釈」に改名したと主張しています(釈とは僧侶の通姓である)。















実際にはご先祖様が敵対していたから本人達の不仲だとかそういう話はどうやら無いようです


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